目次
給与計算は、当事務所の業務の中でも、特に正確さが求められる仕事です。最近は、AIがいずれ給与計算まで自動でこなせるようになる、といった記事を目にすることも増えました。
勤怠をデータで受け取ることはもう当たり前になりましたが、計算そのものをAIに任せるとなると話は別です。会社ごとのルールの複雑さや、誤りが従業員の生活に直接響くことを考えると、現段階で給与計算そのものをAIに任せるのは、まだ難しいと感じています。
当事務所は、給与ソフトで計算するとともに、Excelの給与管理表でも別に自動計算を行い、両方の結果を照合しています。給与ソフトのマスタの設定漏れや計算式の誤りを見つけるための仕組みです。さらに、一次担当者とは別の担当者が、会社ごとに作った二次チェックリストに沿って確認しています。
会社ごとの処理の注意点も、担当者のメモに頼らず、チェックリストとして見える形にしてきました。顧問先には早くから勤怠システムの導入を勧め、勤怠をデータで受け取れる形も整えてきました。
では、計算した結果を確かめる側ならどうか。計算は従来どおり人とソフトで行い、AIにはその結果を別の角度から確かめさせる。それなら今のAIでも役に立つのではないかと考え、実際の給与データで検証を始めました。
それでも、ミスがゼロになるわけではありません。理由は単純で、Excelの給与管理表も給与ソフトも、同じ一次担当者が、同じ変動の情報を見て入力しているからです。
担当者が基本給の変更を見落としたり、手当の金額を打ち間違えたりすれば、その誤りは両方に同じように入り、二つの計算結果はきれいに一致してしまいます。二重の計算で見つけられるのは設定や計算式の誤りで、入力の誤りまでは見つけられないのです。
そこでAIのチェックには、担当者が入力した給与管理表は使いません。顧問先から届いた変動の資料や勤怠データ、前月の支給結果、会社ごとのルールと、当月の給与計算の結果を直接照らし合わせて確認させています。担当者の入力を一度通したものではなく、元の資料と比べるからこそ、入力の誤りに気付けます。
前月の結果と比べるのは、正誤の判定だけでなく、人が一度確かめた方がよい変化を拾うためです。基本給などの固定的な賃金が前月から変わっている、今までなかった支給項目が出ている、特定の手当だけが大きく増減している、勤怠と給与の組み合わせがいつもと違う。こうした変化に、変動の資料で裏付けがあるかを確かめさせています。
AIに最終的な判断を任せるのではなく、人が確認すべき箇所を抜き出させる補助役として検証しています。
給与計算には、法令だけでは決まらない処理が数多くあります。同じ手当でも欠勤時に控除する会社としない会社があり、入退社月の日割りや端数処理も会社によって異なります。担当者にとっては毎月当然に行っている処理でも、AIはその会社独自の取扱いを知りません。
そこで、既存の二次チェックリストや給与管理表の計算式・メモ、変動連絡票から、まず会社ごとの給与計算ルールを整理しました。給与管理表は、このルールを整理するための資料としてだけ使い、チェックそのものには使っていません。
整理してみると、「この社員は例外」のように、担当者どうしでは通じていても、第三者には何の例外か分からない記載がありました。そこでAIには、資料にないことを推測させず、分からない点は質問として出させました。
たとえば、「家賃補助がある場合は交通費を支給しない」という項目に、「社員No.○○は例外」とだけ書かれていました。AIからは「何についての例外か。家賃補助か、交通費か」と質問が出たため担当者に確認すると、その社員は在宅勤務のため交通費の規定の例外だと分かり、「家賃補助がある場合は交通費を支給しない。ただし在宅勤務者は例外とする」というルールとして登録しました。こうして文章にして初めて、別の担当者やAIが使えるルールになります。
すべてを最初から整理する必要はありません。まずは答えられる質問から回答し、足りないルールは、実際にチェックを行う中で出てきた確認事項から順に追加しています。
たとえば、出勤日数が0日であるにもかかわらず、通勤手当が計上されているケースがありました。従来の二次チェックリストにはなかった観点です。
出勤のない月に通勤手当を支給することが、必ず誤りとは限りません。会社のルールによっては正しい場合もあります。ただ、人が一度確認すべき箇所としては有効なので、他の会社でも使える確認の観点として残すことにしました。
同じ給与項目なのに、社員によってExcelの計算式が異なっている箇所も見つかりました。当月の支給額には影響していませんでしたが、該当する社員が出た月に誤りとなる可能性があります。管理用シートの集計欄に前月の数値が残っていた箇所もありました。こちらも個々の支給額には影響していません。
人間であれば誰でも起こし得る種類の間違いですが、支給額が合っている限り、従来のチェックでは気付きにくいものです。支給額に影響が出る前に見つけて直せたことは、今回の検証の大きな成果でした。
入社年月日が、給与管理表、給与ソフトの従業員情報、変動連絡票、勤怠データの間で一致していない社員がいたほか、変動連絡票の記載が1行ずれている箇所も見つかりました。
これらは「給与額が合っているか」を確かめる従来の二次チェックとは少し違う種類の確認です。正誤を断定させるより、人が追加で確認すべき変化や不整合を広く拾わせる使い方に、AIの価値があると感じています。
当初は、会社ごとのルールを整理すれば足りると考えていました。ところが、出勤0日の通勤手当のように、従来のチェックリストにはなかった観点をAIが拾ってきたことで、会社ごとのルールとは別に、事務所として蓄積していくべき確認の観点があると分かりました。そこで現在は、チェックのルールを次の3種類に分けて管理しています。
・会社個別ルール:手当の支給条件や控除の方法など、その会社独自の処理。会社ごとに作ります。
・法的・制度ルール:介護保険料の徴収開始や標準報酬月額の改定など、法令や制度に基づく確認事項。どの会社にも共通で使えます。
・レビュー強化ルール:検証や日々の実務で見つかった確認の観点。事務所全体で蓄積し、他の顧問先にも展開します。
法令で決まっている一般的な事項は、指示しなくてもAIが確認することがあります。ただ、どこまで確認しているかは外から分かりにくいため、毎月確実に見たい事項は、AIの一般知識に任せず法的・制度ルールとして明示しています。
こう分けておくと、2社目以降は会社個別ルールだけを新たに整理し、法的・制度ルールとレビュー強化ルールは共通の基準として引き継ぎながら更新していけます。
ルールは毎月使い、担当者が共通で使い、チェックのたびに書き足していく事務所のノウハウです。そこで、チャットに毎回貼り付けるのではなく、ClaudeのProject機能でルールをあらかじめ持たせておき、そのチャットに毎月の支給控除一覧や変動の資料、個人情報を消した従業員の一覧、会社個別ルールを渡して照合させています(Projectをメンバーと共有して使えるのは、Teamプラン以上です)。
顧問先ごとにProjectを分けると、頻繁に更新する共通ルールを、そのたびにすべてのProjectへ反映し直す必要があります。共通ルールをGoogleドライブに置いて参照させる方法も、共有したProjectにはドライブのファイルを追加できないため使えず、一つのProjectにまとめました。なお、AIを担当者のPCや事務所のNASに直接つなぐ方法は、給与データなどの個人情報もあるため使っていません。
AIの指摘が間違っていたこともあります。ある社員について、年齢からすると介護保険料を控除すべきなのに控除されていない、という指摘が出ました。しかし実際には、その社員は社会保険に加入しておらず、介護保険料の控除対象ではありませんでした。
AIは年齢という一つの条件だけで判断し、その前提となる社会保険の加入状況を確認していませんでした。しかも指摘の書き方は自信たっぷりで、人が確認しなければ、そのまま信じていたかもしれません。
この結果を受けて、「年齢を条件とする控除は、社会保険の加入状況も併せて確認する」という観点をレビュー強化ルールに追加しました。誤った指摘が出たときは、会社独自の運用が伝わっていなかったのか、判定に必要な前提条件が抜けていたのかを確認し、ルールに反映しています。
そのため、新しい会社で始めるときは、いきなり当月の給与では試しません。すでに納品済みの過去の月を使い、AIの指摘が当たっていたかを人が答え合わせしながらルールを整え、誤った指摘が減ってから当月の給与に移しています。
当月の運用でも、AIが挙げなかった箇所に誤りがない保証はありません。二次担当者による最終確認は、従来どおり行っています。
給与データには多くの個人情報が含まれます。AIに渡す前に、社員番号だけを残し、氏名、住所、連絡先、口座情報、家族の情報など、チェックに不要な情報は削除しています。生年月日は、介護保険や厚生年金の年齢判定に必要な場合を除き、削除するか年齢に置き換えます。備考欄や隠しシートに情報が残っていることもあるため、削除した本人とは別の担当者が確認する手順にしています。
ただ、この前処理に時間がかかりすぎれば、二次チェックが速くなっても業務全体では効率化になりません。氏名が入ったPDFで変動の連絡が届く場合は特に手間がかかります。また、PDFは表の行の読み取りを誤ることがあるため、可能なものはCSVなどの形式でそろえるようにしています。
給与の変更情報は、毎月の変動連絡票に集まっているとは限りません。昇給や手当の変更が数か月前のメールで決まっていることもあれば、電話で伝えられることもあります。正社員への転換で社員番号が変わり、前月との比較がそのままではできないケースもあります。
AIに渡した資料の中に情報がなければ、その変更は確認できません。これはAIの性能というより、給与計算に必要な情報をどう記録し、どこに集めるかという業務の設計の問題です。人によるチェックでも同じことが言えます。
会社ごとのルールの整理、加工前の資料と計算結果の直接の照合、前月との比較、資料どうしの不整合や違和感の抽出、誤検知の原因をルールに反映する流れについては、実務で使える手応えがあります。現在は、他の顧問先にも同じ方法を広げています。
同じように、事務所のチェックノウハウをAIに持たせる取り組みは、「就業規則のチェックに生成AIはどこまで使えるのか」でもご紹介しています。
AIの機能が進めば、資料の確認やデータの整理、ソフトへの入力など、給与計算の前後の工程の一部を扱える可能性もあります。ただし、当事務所ではそこまでの運用はまだ検証していません。
給与計算は大量の個人情報を扱い、わずかな誤りでも従業員の生活に直接影響します。大切なのは「AIにできるか」だけでなく、どこまで任せても安全か、どこで人が確認するか、誤りをどう見つけるか、問題が起きたときにどう元の運用に戻せるか、という設計だと考えています。
現在は、Excelと給与ソフトによる二重の計算と人の確認を維持したまま、AIによる照合を加えています。前月との比較や変動資料との照合が安定して使えるようになれば、手間をかけて作ってきた給与管理表を含め、チェックの方法そのものを見直せる可能性があります。
その先には、二次チェックの進め方も変えられるかもしれません。毎月必ず人が確かめる範囲を決めたうえで、それ以外はAIが示した箇所を中心に深く確認する。そうなれば、担当者の負担を減らしながら、本当に確かめるべきところに時間を使えるようになります。ただ、AIが挙げなかった箇所に誤りがないとは限らないため、どこまでをAIの指摘に委ねられるかは、実際の運用の中で見極めていく必要があります。
給与計算そのものをAIに任せる段階には、まだありません。ただ、二次チェックの精度を上げる道具としてなら、すでに実務で使える手応えがあります。AIを使う目的は、チェックを一つ増やすことではなく、給与計算の正確さを保ちながら、これまでのチェックの工程をより合理的な形に組み直すこと。現在は、そこを確かめています。
給与計算のご依頼は「労務アウトソーシング」でお受けしています。ご相談はお問い合わせからどうぞ。
※本記事は2026年8月時点の当事務所の取り組みです。AIツールは名称や機能の変化が速く、今後もその時点で安全性と実用性のバランスが良い方法へ見直していきます。
Related articles



